わたしのあたまに響くのは、2018年1月2日に急逝した師匠の声、よく通る指導者然とした曇りのない声でした。某軍式接近戦闘術の日本での第一人者で、わたしよりもお若く、もちろん肉体も強靱で、圧倒的なパフォーマンスでほかを寄せ付けないかたでした。
「今日はパンチというひとつの武器を持って帰ってください」
というのが、初めてのトレーニングで必ず松元さんが口にする一言でした。
いまでもストレートを打つときには、その言葉を思い出します。
こんご格闘技をするかどうかわからなくなりましたが、教わったことはすべて大切にします。
いままでありがとうございました。
イミ・スデ・オー、ならんで故・松元さんに、キダ(קידה)、そしてトダ・ラバ(תודה רבה)。
上記をSNSで書いたときにひと段落付けたつもりでしたが、そう簡単にはひと段落などつきませんでした。
つかなかったので、悼む詩を書き、いまでもその稿を読むたびに涙が出てしまいますが、仲間は反応に戸惑っている様子ながら自衛官幹部のかたが「ののちゃんなりの悲しさなんだよね」「正直よくわからないけど、熱い思いは伝わった」伝えてくださいました。
それで十分です。
わたしの哀嘆が鳴り響いたなら、わたしとしては論理的なメッセージよりも、ありがたいことだったのです。
だから、ああ周りをまた困らせてしまったなあ、と思いながらも、気持ちが少し落ち着いたのです。
そして、この喪に接した感情のただひとこと「かなしい」という表現をしたく、新しいアプローチが稲妻のように胃の腑を直撃しました。詩に対するわたしの姿勢を一変したと思っています。
最初に原稿用紙換算で3枚程度だったものが物足りなくて、書き直し9枚でひとつを形作りました。もう少し長くしたかったけど、訃報を聞いて最初に鼻水とともに垂れ流れた涙だったので、この長さが妥当だったのかもしれません。
それが、今号載せた「刻、哭し、時へだて、なぜ? 訊いた」です。
よろしかったら眺めてくださいませ。
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